釧路 野地の石仏

大正時代に建立された「釧路 新西国三十三所観音霊場」をご存知ですか?

釧路新西国三十三所観音霊場その4春採界隈

釧路新西国三十三所観音霊場その4

春採界隈

 

12 仏心禅寺境内

 この第二十四番から馬頭観世音堂へ向うことになりますが、この経路については、「春採湖」に記載があります。すなわち、仏心禅寺から馬頭観世音に「向う途中の禅寺裏には、人が歩いて自然にできた道であり、傾斜が強く、老人は若い人に手を引かれ、又這うようにして登って」いったようです。現在は、その道は見つけられませんでした。ただ、禅寺の裏側は急勾配の山になっており、また、高い土留めがあるようなので、現状ではこの「道」を使うのは難しいのではないでしょうか。

 

13 春採馬頭観音堂境内

 春採2丁目にある春採馬頭観音堂境内に5体の石仏が並べられており、そのうちの2体が第十八番、第十九番です。「春採湖」では、「本堂裏の広くないところに」あるとされていますが、現在は本堂前右側に祀られております。「探検隊」の写真をみるとやはり本堂裏にあるようですので、ここ10年くらいの間に移設されたものと推察されます。

 

紫雲台界隈

14 紫雲台墓地入口

 紫雲台墓地の入口に多くの石仏がありますが、そのうち2体が第十四番と第十六番であり、並べて祀られています。

 この2体の像種については「春採湖」の記述に従いましたが、本行寺の第二十五番と第三十二番と同様、両方がそれぞれ反対になっています。本家の西国三十三所では第十四番は座像、第十六番は長等身であるようなので、そちらに従った記述にしたものかもしれません。この2体は、「春採湖」によると、昔の観月園にあったそうで、住宅建設のために紫雲台墓地に移設されたものだということです。

 

15 供養橋付近

  「春採湖」には、「墓地を横切り、海岸近くの墓地に行く旧道路を、供養橋に向って降りると、左斜面に5体の石仏が祭られている。」とされています。「碑文手帳」には、「墓地西地区から沼尻地区へ下ってゆく近道の中ほど細い山道沿いにある。」 とされており、いずれも墓地から降りていくように書かれていたので、実際に行ってみたのですが、その近道は見つかりませんでした。

  供養橋の左岸側(紫雲台墓地側)から上に登っていく道を探してみると、1本だけ畑の様なところへ通じる山道があります。そこに3体の石仏と1個の石がみつかりました。供養橋付近とされていますが、付近というには少し遠い感じがします。これしか目標がなかったということでしょう。3体ですので「春採湖」の5体という表現と矛盾するようですが、今までも述べてきたように、1体は「石をもって石仏とする」とされており現在は千才町崖下にある第十七番と、友愛の並木道に移設されたと思われる第二十八番が供養橋付近にあったということになります。

  この供養橋付近という場所に、5体の石仏を祀るために現地まで運んだということに思いをはせたときに、当時の方々の信仰への思いが伝わってくるような気がします。

 

16 西端寺境内

 供養橋を渡り、米町に戻ってくると、山かけ最後の第三十三番は、第一番とともに西端寺に祀られています。 

 ここで、今まで参考にしていたご詠歌のホームページを見たところ、「春採湖」の記述と全く違うご詠歌が記載されていました。
いろいろ調べてみたところ、複数のページで、第三十三番の谷汲山華厳寺が3つご詠歌をもっていることが判明。この3つのご詠歌を紹介させていただきます。

  また、あるホームページでは括弧書きで表記した「過去現在未来」の記載がありました。意識してみると意味合いがあるのでで併せて紹介させていただきます。

 

◎ 満願のよろこび

  「春採湖」では、三十三所を紹介のあと「満願のよろこび」として、山かけに参加した人たちの交流の様子などを紹介しています。

  釧路新西国三十三所霊場が、大正13年の建立時の苦労と、それ以降この三十三所を守ってきてくださった方々の努力には、心からの敬意を表さずにはいられません。

  厚い信仰心、他者のための祈り、あるいは、心からの願い事・・・、観音様に手を合わせ祈ることで、人々はよろこびをいただいてきたからこそ、野地の石仏は、90年以上も人々に親しまれてきたのだと思います。

 春採湖を散策していると、よく観音様に手を合わせている方々をお見かけします。こうしたお祈りが、多くの苦しむ人たちを救い、また、心を癒すことを願ってやみません。